プロとは言えない花屋

以前、目の不自由なお婆さんの住まいを訪れた時の出来事です。玄関口に置いてある花瓶に、綺麗な生花が生けられてありました。「綺麗なお花ですね。」と、お婆さんに伝えると、お婆さんは「仏壇にも生けてもらっている」と教えてくれました。そして、まだ視力に不自由を感じていなかった時代に通っていたお花屋さんが、ご好意でお花を定期的に届けてくれると言うことを教えてくれました。お婆さんは、少し何か考え込んだあと、私に「いくらのお花に見える?」と尋ねてきたのです。私は目の不自由なお婆さんに、お花の見栄えの値段を告げる事などは失礼な事だと思い、質問の意味が分からないような素振りをしていると、お婆さんはその様子に気づき「野暮な事を聞いてしまってごめんなさい」と実際のお花の値段を教えてくれました。私は正直、この花瓶に生けてある花の量と種類でその値段はボッタクリだと感じてしまいました。自宅までの配送料を考えても、目の不自由なお婆さんが目視して確認できない事をよい事に、高額な値段を告げているように感じられてしまいました。詳しく話しを聞いていると、お婆さんは「昔からのお付き合いだから・・・。自宅に訪れる友人らからは、お花屋さんを変えた方が良いと助言されるのだけれど・・・。今更ね・・・。」と諦めたように私に語りかけました。若い頃から、フラワーアーティストとして、花々に囲まれた職場で草花を相手に仕事をしてきたお婆さんには、お花の形状が目視できなくても、感覚で高額な草花ではない事は明確に感じ取れていたのではないでしょうか。フラワーアーティストとして、長年草花に触れてきた感覚は、視力を失ってからの手先や嗅覚からでも分かると言うのです。ですが、そんな事をお花屋さんに告げても、何も誰も「徳」にはならないのだから、昔からのご縁を大事にしていきたいとお婆さんは、私に話してくれました。私はお婆さんの気持ちを尊重して、それ以上は話題を変えましたが、せっかくお花を扱うハッピーな仕事をしているのに、とても残念なお花屋さんが世の中にはあるのだなとがっかりしてしまいました。

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